6日目の思い出・西日本(ユッコ) [大分~東京5泊6日。車で。]
2011年10月11日のお話。
長い旅の最終日は刈谷PAでの入浴から。
高速道路から出ずにお風呂に入られるなんて、有り難い。
つぼ☆の話によると、「源泉」という湯船があったとのことですが、
私は入りそびれたようです。
きっと、年金の話で盛り上がるご婦人方で、いっぱいだったところが、
それだったのでしょう。
残念。
それでも、お湯の中で体を思いっきり伸ばすと、車中泊の疲れはだいぶ回復。
今日もがんばるぞと、伊勢湾岸道を西へ。
ちょっと疲れたかな?
甲南PAで休憩。
なんでタヌキの方なの?(いち太)
大阪圏に入ると、結構渋滞していたようで、つぼ☆は消耗。
今回の復路は、四国経由にする事にしました。
四国経由の方が、フェリーを使うため、多少費用がかかり、多少待つ時間もできます。
でも、距離は短くなるし、我々にとって新鮮な道を通るので、飽きません。
淡路島を渡って、初めて通る高松道へ。
暗くて見づらいですが、行きたい札所の出口が一目で分かる看板。これは四国にしかない。
津田の松原SAのセルフ式うどんで昼食。
ぷりぷりのうどん。
あったまるし、しあわせ。
私たちの後にやって来たおじさんは、ずいぶん長い事、麺を温めていました。
時計を見るわけでもなく延々温めて、彼にしかわからないタイミングがあるようでした。
すげー。
「近道、見つけた。」とはいえ、四国も長いです。
三崎港に着いたのは、夜8時。
待つ間、近くでお土産を買い、いち散歩。
ここまで来ても、いち太はゴキゲン。
全員2回目の国道九四フェリーへ乗船です。
ぎっしり乗ります。
しばしのんびりしていると、すぐに到着。
佐賀関に着くと、旅情はもうすっかりありません。
大分市内という現実。
前回もそうでしたが、このフェリーで帰ると、
キツネにつままれてワープしたような感じになります。
四国を通ると、三崎港までが、「往路」の感じがするのです。
ワープしたので、わりと元気に帰宅。
そしてしばし、大量の思い出に囲まれ、うれしいやら、さみしいやら。
たくさんの人たちに会って、つぼ☆のつぶやきも見てもらって、
我が身の贅沢さに、呆然とする気持ちでありました。
初めてのところ、懐かしいところ、いっぱい嗅いだなー。(いち太)
5日目の思い出・東京(ユッコ) [大分~東京5泊6日。車で。]
この日は、私は友人の結婚式へ。つぼ☆はつけ麺博へ。
全く、旅とは別世界でハッスル。
午後につぼ☆と落ち合い、いち太を迎えに行って、
MINIのお店に行き、前住んでいた場所周辺を流し、
大好きだったパンを買って、
夕暮れの東京を後にしました。
前住んでた部屋には灯りが点いていて、
すこし寂しいような。
ちゃんと水回りはリフォームしてくれただろうか、
なんて心配しつつ。
行きつけだったゴルフ練習場を横目に見ながら、
横浜の友人宅へも寄らせてもらい、
そこを出発すると、いよいよ長い帰路の始まり。
何度もドライブした道を、西へ西へ。
私は、不覚にもほとんど爆睡。
国道1号を走っていたような。
詳しくは当日のつぼ☆の書き込みで。
(一般道で、小田原とか、浜松とか、豊橋とか通って、岡崎から東名道にのったらしい・・・。)
この日は、満を持しての車中泊。
いつもの刈谷PAで、いっぱーーく。
でした。
4日目の思い出・関東(ユッコ) [大分~東京5泊6日。車で。]
2011年10月9日のお話。
大分→東京の旅、4日目にしてようやく関東入りです。
清里ついでに軽井沢ものぞきたい気持ちでしたが、この日は連休の中日。
大変な人出(車出)になっているに違いないという事で、泣く泣く断念。
国道141号を北上しましたが、佐久で下仁田方面へ。
(このあたり、私といち太は爆睡でしたので、記憶が定かではありませんが)
山また山の、海から遠い感じもまた、九州では味わえない感覚。
ネギとこんにゃくいもの里、下仁田。
国道254号から国道17号へ。
群馬県の地名、埼玉県の地名。
東京に住んでた頃は、ただの通過点でしたが、
今ではなんだか懐かしい愛着のようなモノを感じるのがコワイ。
午後になってようやく、この日の目的地・行田へたどり着きました。
行田では、私がお世話になった職場の先輩(かつ、お友達)とお父様におもてなし頂きました。
行ってみたかった忍城。
忍城の活躍ぶりについては、勉強中の私ですが、
おもてなし甲冑隊や、コスプレイヤー達を目撃。
現代もまだまだ活躍が続きそうな予感。
向こうに忍術学園の生徒達が見えます。
さきたま古墳公園では、JAFメイトの表紙も飾った、古墳の上の桜の木に興奮。
いち太は広さに興奮しておりました。
しかし、古墳て空から見たいなあ。
ゼリーフライ、フライ、いがまんじゅうをしっかり頂いて、東京へ。
この日は、いち太をいち太のふるさとのペットショップに預け、
我々は、トーキョーナイトでありました。
品川にいっぱーーく。
3日目4日目の思い出・清里(ユッコ) [大分~東京5泊6日。車で。]
東京時代、とにかく山梨県が大好きだった私達。
今回の旅の3日目の宿泊地は小淵沢でありました。
というわけで、3日目の夕方からは、
八ヶ岳、清里、リゾートエリアを思い切り懐かしむのがテーマです。
国道20号を使わず、のんびり清里方面に向かう私たち。
途中で、清泉寮のソフトクリームに間に合わないかも、と気がつきましたが、
つぼ☆は、
間に合わなかったら、明日の朝にでも必ず行くから、いいのだ、
と、言いました。
トイレ休憩にまきば公園に寄り、
清泉寮に着いたのは日も暮れた17時半頃。
しかし、ソフトクリームには間に合いました。
私は、ものすごく寒かったので、ソフトクリームは見学にしました。
その後、もう一つの懐かしい場所、八ヶ岳リゾートアウトレットへ。
こちらはなんと、19時閉店、とのこと。
どんなに閑散としていても(失礼)、20時閉店のイメージだったので、
いろんなお店をのぞき見しつつも、タイムアウト。
ちょっと残念。
夕食後、この日の宿、白い仔馬へチェックイン。
この日は走行距離もそんなになかったし、ゆっくりできました。
翌朝。
快晴の中、私たちは清泉寮にいました。
つぼ☆は「やっぱりこの味!」と、幸せそうにソフトクリームを食べました。
??
昨日の事は、夢だったのでしょうか?
ソフトクリームの写真が2つに見えるのは、目の錯覚?
いち太も芝生の上で大はしゃぎ。
会う犬、会う犬、でれでれと喜び、大フィーバーです。
幼い日を過ごした首都圏の犬の方が、話が合うのかな?
あっちにもこっちにも犬がいっぱい。みんなで鬼ごっこしたい!(いち太)
この辺でお泊まりは初めてだったので、
こんな朝からもう、気持ちのいい清里にいられるという事が、
とても贅沢気分でした。
のんびりリゾートの朝を満喫して、この日はいよいよ関東へ入ります。
3日目の思い出・信州横断(ユッコ) [大分~東京5泊6日。車で。]
大分に引っ越してからというもの、とにかく私は高い山に飢えておりました。
車で東京に行く事になって、
つぼ☆は、「未知の山陰を通って、天橋立で股をのぞきたい」というテーマを掲げ、
私は「北アルプスを見たい」というテーマをリクエストしました。
旅の道筋を計画する時、京都(天橋立)から東京は、
普通に考えれば、名古屋経由であります。
山を見たいなら、名古屋から中央道もしくは国道19号→国道20号を通るルートです。
ただ、私が見たいのは、北アルプス。
中央アルプス+南アルプスでお茶を濁すか、大変悩みましたが、
もう少し北よりのルートはできないかと画策、
これしかない、と言うべき道路が国道158号でありました。
福井から、長野の松本を繋ぐ国道ですが、
このあたりを東西に結ぶ道は他になさそうで、大変貴重なモノに思えました。
北アルプスをちゃんと通ります。
おかげで、2日目の宿が高山になり、名古屋経由よりだいぶ遠回りになったのです。
午前中のうちに高山を出ました。
車はぐんぐん山へ向かっていきます。
連休初日で天気もよく、乗鞍や上高地では紅葉も見頃とあって(10月8日時点)、
平湯温泉は、結構な人出。
ここから我々は、岐阜と長野の県境の安房峠を越えるべく、旧道へ入りました。
そして私はこの時、ここに来た事がある事を思い出しました。
多分、10年近く前、私が名古屋にいて、つぼ☆が東京にいた頃。
いち太はいなかったし、車はこの車だっただろうか、レンタカーだっただろうか。
季節はいつ頃だっただろう。。。
ともかく、念願だった、九州にはない植生の、樹のトンネルに囲まれて、
我々は最高にハッピーでありました。
ここばっかりはオープンで来たかった。
安房峠を越えて、いよいよ懐かしい長野県。
安房峠から長野側。上高地の方。こういうのが見たかったの。
長野側に入ると一気に紅葉が進んだよう。
清々しい。
絶景だったけど、このあたり、紅葉見物のハイカーのと思われる路駐がぎっしり。
山を歩きたい人もギリギリまでは車で来たいのね。
つづら折りをパチンコ玉が落ちるようにコトコトと下り、
久々の信号で止まると、そこは上高地の入り口、釜トンネル。
満員のバスが、何台も何台もトンネルへ入っていきます。
どのバスからも、ワクワク感が伝わってきます。
きっと、ここいらのバス会社のバスはフル稼働。
バス乗り換え場まで、とにかく上高地行きシャトルバスとすれ違い、
駐車場はそこまで停めるの?というくらいいっぱいでした。
きっと今日の上高地はディ○ニーなみの賑わい。
私たちはそれを横目に、懐かしい松本まで下り、
懐かしい国道19号に出て、懐かしい塩尻峠を越え、
懐かしい諏訪湖を眺め、懐かしい山梨方面へと向かったのです。
高山の後は、まったり過ごしたいち太でした。